(via bondooroo)
カサノヴァがその華やかな恋愛遍歴を享受した理由の一つは、彼が多くの同時代18世紀人と異なり、彼自身の快楽と同時に、その交際する異性の側の快楽に常に注意を払っていたことにある。彼は誘惑者としてばかりでなく、誘惑されることにも喜びを見出しており、また多くの美女を同時に愛し、激しい恋愛のときが終わったずっと後に至るまで、それら異性を人間として同等の存在として尊敬し、親交関係を維持した。彼はまた数人の男性ともベッドを共にし、また異性装にも生涯を通じて関心をもっていた。性病とギャンブルもまた彼の人生と不可分だった。ギャンブルは異性の次に彼が情熱を傾けたものであり、さまざまのものに賭け事を行い、ある時は勝ちまたある時は全財産をすったりした。パリで彼は国営の宝くじを創始してひと財産を成したが、絹織物工場への投資が失敗して全てを失っている。
言うまでもなく彼の最大の才能はベッドの上で発揮されたが、同時代人にとってのカサノヴァはそれ以外の面でも傑出した存在だった。オーストリアの大政治家シャルル・ド・リーニュはカサノヴァを彼の知りえたうち最も興味深い存在であると評し「この世界に彼(カサノヴァ)が有能さを発揮できない事柄はない」とまで言っている。またランベルク伯爵は「その知識の該博さ、知性、想像力に比肩しうる者は殆どない」と記している。カサノヴァがその生涯にわたる遍歴において知遇を得た人物には、教皇クレメンス13世、エカチェリーナ2世、フリードリヒ大王(カサノヴァの美貌に関してコメントを残している)、ポンパドゥール夫人、クレビヨン(カサノヴァにフランス語を教えたともいう)、ヴォルテール、ベンジャミン・フランクリンなどがいる。彼はまたモーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』初演(1787年)に列席しており、また同オペラでロレンツォ・ダ・ポンテの台本に最後の筆を入れたのではないか、との説も唱えられている。近年、カサノヴァが、脱獄後も、ヴェネツィア共和国政府に、遍歴先の政府の機密情報を流していたことが、公文書館記録により明らかになった。これによって、カサノヴァが、ヴェネツィアに帰国を認められた理由が、スパイ行為による祖国への貢献であることが分かっている。
カサノヴァは時にビジネスマン、外交官、スパイ、政治家、哲学者、魔術師、20作以上の著作をもつ作家そしてドレスデン、ジェノヴァ、トリエステ、マドリッドで作品が上演される劇作家として立ち働いたが、その生涯の殆どにおいて、単一の「生業」を持たず当意即妙のウィット、幸運、社交上の魅力、そしてその対価として人々が提供する金銭でもって生活していた。
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